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永平寺のあゆみ
中世の永平寺 〜天皇の勅額により出世道場に〜
1372年(北朝応安5年)、後圓融天皇より「日本曹洞第一道場」の勅額を賜り、永平寺は出世の道場となりました。
近世の永平寺 〜徳川幕府の法度を受け、大本山に〜
1615年(元和元年)、徳川家康が永平寺法度を発令。「日本曹洞の末派は永平寺の家訓を守るべし」という命が下され、永平寺は大本山となりました。また、江戸前期には越前藩主・松平家より寺領の寄進を受け、1676年(延宝4年)には、計70石となりました。
明治から今日へ 〜国内・海外からも注目〜
1879年(明治12年)、承陽殿・孤雲閣等が火災に遭い、1881年(同14年)に承陽殿・孤雲閣等が、1902年(同35年)には僧堂と佛殿が再建されました。
1930年(昭和5年)、大庫院・光明蔵等を新築して再び伽藍を一新。昭和30年代に入るや永平寺も心の観光地として注目されるようになり、1986年(昭和61年)から1989年(平成元年)にかけては、中国ヨーロッパ、スリランカ等、海外との交流も盛んになり、海外からの訪問も多くなりました。
1995年(平成7年)には、傘松閣を改築。昭和初期に描かれた230枚の天井絵も修復されています。