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祠堂殿法要・永代祠堂受付 - 参籠(さんろう)について
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1749年(寛延2年)8月に再建された永平寺最古の建物です。修行僧が正式に入門する際に通る永平寺の玄関に当たり、正面の両側には「ここより先は厳しい出家修行の道場であり、求道心の在る者のみ門をくぐることが許される」という意味の言葉が記されています。中国唐時代様式の楼閣門で、両側には仏教の守護神である四天王を祀り、上部には吉祥山永平寺の命名の由来である「吉祥の額」、2階には五百羅漢(ごひゃくらかん)が安置されています。
七堂伽藍の中心に当たる建物です。1902年(明治35年)の改築で、屋根は中国宋時代様式の二重屋根に、床は石畳となり、建築美が際立つ伽藍となっています。須弥壇(しゅみだん)と呼ばれる壇の中央には本尊の釈迦牟尼仏(お釈迦様)が祭られ、右に未来弥勒仏、左側に過去阿弥陀仏の三世如来を祀っています。欄間には禅宗の逸話が図案化された十二枚の彫刻がはめこまれています。
僧堂は修行の根本となる堂です。「雲堂」「坐禅堂」とも呼ばれ、この建物で、坐禅・食事・就寝を行います。浴室、東司(お手洗い)と並ぶ三黙道場の一つで、約82人が就寝でき、164名もの雲水が坐禅修行をすることができます。堂内中央には智慧の象徴である文殊菩薩を安置し、そのまわりに坐禅のできる「単」と呼ばれる席が設けられています。なお、現在の建物は、1902年(明治35年)の改築されたものです。
一般の寺院でいう庫裡(くり)に当たる建物です。1930年(昭和5年)に改築され、1階には修行僧や参籠者の三度の食事を作る「典座寮」と呼ばれる台所があります。道元禅師は食事の作法を尊んでおられ、その精神に準じて食事が作られています。
玄関正面には足の早いことで有名な守護神「韋駄尊天」を祀っています。庫院前に掛けられた「擂粉木(すりこぎ)」は、永平寺の名物として知られています。
2階は来賓接待の間、3階は和室の150畳敷の「菩提座」と呼ばれる大広間となっており、多人数の宿泊から上膳(あげぜん)、時には法話、講義も行われます。
一般にいうお手洗いです。禅宗では三黙道場の一つでもあり、正面には「烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)」を祀っています。道元禅師は身も心も清らかにする作法を示されるとともに、国土の清浄までお示しになっています。
一般でいうお風呂場にあたります。浴室には水により悟りを開いたといわれる「跋陀婆羅菩薩(ばつだばらぼさつ)」を祀っています。三黙道場の一つで、水を大切に使い、身も心も清めるための大切な修行であるという考えのもと、入浴は作法に従って厳粛に行われます。禅宗では月のうち、四と九の付く日(四九日、しくにち)が入浴日と定められています。その他、夏場などには淋汗(りんかん)と称して沐浴が許されています。
1843年(天保14年)に改築された禅師様の説法の道場です。一般の寺院でいうと本堂にあたり、朝のお勤めなどの各種法要がこの建物で行われます。380畳敷の堂内は、中央に本尊「聖観世音菩薩」をお祀りし、階段の左右には阿吽の白獅子が置かれています。七堂伽藍の最も高いところに位置し、四季折々の美しい景色が眺められます。
道元禅師の御真廟、いわばお墓にあたり、1881年(明治14年)に改装されました。日本曹洞宗の発祥の根源であり、曹洞宗の聖地ともいえる場所です。奥の本殿は1981年(昭和56年)に改修されたもので、中央に御開山道元禅師の御尊像と御霊骨を安置し、左右に2代から5世までの御尊像を祀っています。階段下の拝殿には6世以降の永平寺歴代住職の位牌、左側には永平寺の開基波多野義重公の御尊像や道元禅師生家である久我家の位牌、全国の曹洞宗寺院住職の位牌などが祀られています。
鐘楼堂とは鐘撞き堂のことです。1963年(昭和38年)に改築され、除夜の鐘で有名な大梵鐘が吊るされています。大梵鐘の重さは約5トン。朝・昼・夕方・夜の4回、修行僧が鐘を撞いています。一撞きごとにお拝をして撞かれる梵鐘の音は深く響き、心に清らかな安らぎを与えてくれます。
祠堂殿は一般の方々の納骨や供養などの法要を行う殿堂です。1930年(昭和5年)に新築され、堂内には全国の信者から納められた位牌が安置されています。
舎利殿は祠堂殿の奥にある納骨堂で、1863年(文久3年)に改築されました。建物は寄棟造りで、中央には「地蔵菩薩」が祀られています。
2000年(平成12年)、道元禅師750回大遠忌の記念事業として新たに整備されました。苑内には、道元禅師の父母の恩に報いる「父母塔」、出家の志を立てた姿を現す「稚髪像(ちはつぞう)」、明全和尚とともに中国に渡り、如浄禅師と出会い正しい仏の道を得たご縁に報いる「明全塔」と「如浄塔」など、道元禅師の御一代が偲ばれる像塔が並んでいます。奥は、永平寺歴代住職や開基波多野義重公の墓地となっています。
道元禅師の750回大遠忌の記念事業の一環として、1993年(平成5年)から2年の歳月をかけて再建されました。1階は参拝の方々のための控室や研修・宿泊のための部屋となっています。2階は156畳敷きの大広間で、1930年(昭和5年)建築当時の天井絵を修復し、はめこんでいます。この大広間は別名「天井絵の大広間」と呼ばれ、花や鳥などを描いた230枚の絵は、昭和5年当時の著名な画家144名によるものです。
2002年(平成14年)、道元禅師750回大遠忌の記念事業の一つとして改築した展示場と収蔵庫を兼ねた宝物館です。なかでも「普勧坐禅儀(ふかんぜんぎ)」は、道元禅師が宋での修業を終えて帰国後に禅の奥儀を記した書で、禅師が自ら書いたものと伝えられ、国宝に指定されています。その他にも重要文化財や書・絵画・書籍・器物など永平寺に伝わる宝物数千点、古文書など貴重な収蔵品が多数収められています。
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