道元禅師について

幼くして両親を亡くし、13歳で出家

永平寺を開いた道元禅師は、1200年(正治2年)京都に誕生されました。道元禅師の両親については諸説がありますが、俗姓源氏、村上天皇九代の後胤内大臣久我通親公を父とし、摂政藤原基房公の娘を母とする、という説が定説となっています。道元禅師は3歳で父を、8歳で母を失い、世の無常を感じて13歳の春、比叡山横川般若谷(よかわはんにゃだに)に出家されました。

24歳で中国に渡り、26歳に正伝の仏の教えを受け継ぐ

1214年(建保2年)、15歳にして京都建仁寺・栄西禅師の門に参じ、24歳の時、栄西禅師の弟子・明全和尚(みょうぜんおしょう)とともに悟りの道を求めて宋へ渡り、諸山(禅寺)を巡ります。26歳の頃、天童山景徳寺・如浄禅師(にょじょうぜんじ)の下で修行して悟りを開かれ、お釈迦様から伝わった「坐禅」という正伝の仏法を受け継がれました。

京都から越前国へ移り、永平寺を開山

道元禅師は、1227年(安貞元年)秋に帰朝、1233年(天福元年)春、深草の極楽寺旧蹟を興し、藤原経家や正覚尼等の要請により宇治に興聖寺を開かれました。その後、道元禅師は「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」一巻を撰述。誰にでもできる坐禅の行法を説かれました。
1243年(寛元元年)、鎌倉幕府の六波羅探題引付頭(ひっけとう)の一人で道元禅師に深く帰依された波多野義重公の勧めにより、越前国志比の庄吉峰寺に弟子懐弉禅師(永平寺2世)等とともに移られました。翌年、大佛寺を建立。これを永平寺と改称し、のちに山号を吉祥山に改めて、ここに真実の仏弟子を育てる道場を開かれました。

ページTOPへ