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永平寺の起源
1244年(寛元2年)、道元禅師により開祖

永平寺は道元禅師によって開かれた坐禅修行の道場です。初め、越前国の波多野義重(はたのよししげ)公の勧めにより、義重公の領地である越前国志比庄(しひのしょう)に移り、大佛寺を建立。1244年(寛元2年)、道元禅師47歳のときに永平寺と改められました。道元禅師は盛んに修行僧を指導されるとともに、修行僧が守るべき規則となる清規(しんぎ)を定められています。現在も当時のまま、その修行生活が続けられています。
道元禅師の入滅
1252年(建長4年)秋頃より道元禅師は病に罹られました。翌5年7月、弟子である懐弉禅師(えじょうぜんじ)に永平寺の住持を譲られ、8月23日夜半入滅。世寿54歳でした。
伽藍の整備
懐弉禅師は永平寺伽藍の整備にも尽くされました。弟子となる義介禅師(ぎかいぜんじ)を宋へ送り中国五山を見学。このとき義介禅師が宋の禅林(修行道場)の伽藍配置や建築様式などを書写してきたものが、「五山十刹図(ござんじっせつず)」で、貴重な文化財として加賀の大乗寺に伝えられています。
懐弉禅師は、1272年(文永9年)に義介禅師に永平寺を譲られます。三世義介禅師の頃にはじめて七堂伽藍が整えられ、永平寺の基盤が築かれました。