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歴史概要

最も古い記録は戦国時代

お土産物屋やお食事処が軒を連ね、観光客たちで賑わいを見せる永平寺の門前町。そんな永平寺の門前集落がいつごろ発祥したのかは定かではありませんが、永平寺開祖以前、門前には16戸があったと言い伝えられています。 現存している最も古い記録は戦国時代にさかのぼります。永正6年(1509)4月、永平寺掟書に「門前行者百姓番匠」という記載が残されており、その当時には「行者(修行僧)」、「百姓」、「番匠(大工)」が区別されており、永平寺建立後、門前集落が形成されていったと考えられています。

江戸時代には永平寺の支配下に

江戸時代になると門前制度は整えられ、門前に住む人々は大工役を奉仕する「大工村」、寺役を奉仕する「百姓村」にわかれて居住しました。この大工村・百姓村は中世以来の役割をそのまま分担したもので、永平寺は門前法度を布達するなどして、門前集落を支配下に置きました。両門前には名主・山奉行・組頭といった村役人が置かれ、村を統括。永平寺文書によると、享保16年(1731)には、百姓村81軒、大工村71軒が居住していたと記録されています。

明治に独立、昭和に現在の街並みに

門前集落が永平寺から独立するのは、明治時代。地区の名前も、明治5年の「足羽県地理誌」では「永平寺村」、明治7年の「越前国地名要覧」では「志比」と改まります。 昭和5年には京福電鉄永平寺駅(現在は廃駅)から永平寺正門に至る新道が整備。かつて門前大工村・百姓村が建ち並んだ永平寺川沿いの道は旧道となりました。

現在の門前町は「永平寺門前のにぎわい創出事業」として街並み整備が進められており、 沿道には道元禅師の歌碑や志比線刻磨崖仏の解説板を設置するほか、休憩所としてポケットパークを整備。訪れた人により親しんでいただける門前町をめざしています。

門前には、地元の言い伝えや知られざるエピソードなどを交えて、永平寺の歴史や周辺の見どころなどをわかりやすく解説してくれる語り部がいます。
語り部と一緒に歩きたいという方は下記までお申し込みください。

お申し込み・お問い合わせ/
永平寺町商工観光課 0776(61)3921
 永平寺門前観光協会 事務局大関 0776(63)3131
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